「べらぼう」源内生存説は有望!?退場しても存在感が薄れない“もう一度会いたいあの人”【平賀源内編】:3ページ目
「書をもって世を耕す」だから「耕書堂」
退場してもずっと存在感を放っていたのは、話題となった源内の名言も同様です。
蔦重が、版元名を源内に考えてもらったとき。『耕書堂』と書いた紙とともに
「書をもって世を耕し、この日の本をもっともっと豊かな国にすんだよ」
という、素敵なメッセージをくれました。この世の中をより豊かにする力が本にはある……と思った蔦重。これ以後、「書をもって世を耕す」はずっと蔦重の心に中に根付きいろいろな場面で指針となったのでした。
彼をずっと支えてきてくれた須原屋(里見浩太朗)の心にもずっと残っていたようです。41回『歌麿筆美人大首絵』で、須原屋は、
「知らねえってことはな、怖えことなんだよ。物事知らねえとな、知ってるやつにいいようにされちまうんだ。本屋っていうのはな、正しい世の中のためにいいことを知らせてやるっていう務めがあるんだよ。平賀源内風に言えばな、“書を以って世を耕す”。これなんだよ」
と蔦重に伝えます。このセリフは「源内先生の『耕書堂』の意味はずっと息づいている」と反響を呼びました。
自らの思いによってのみ、『我が心のママ』に生きる。
さらに、印象深いのは、
「自らの思いによってのみ、『我が心のママ』に生きる。我がままに生きることを自由に生きるっていうのさ」というセリフ。
お抱え藩士という身分を手放し幕臣にもならずに、思いのままに生きながらも貧乏な生き方を心配する蔦重に、心のうちを話す源内。
「自由に生きるってのはそういうもんでさ。わがままを通してんだから、きついのは仕方ねえや」
この言葉に“感動した”という声も多くみかけました。蔦重も、ドラマの中で困難にぶつかったり道に迷ったりした時、きつくても仕方ない『我が心のママ』に生きるほうを選択していたと感じます。
そんな源内が亡くなった時、救えなかったと土饅頭の前で手を合わせて涙する蔦重と須原屋。須原屋は「平賀源内を生き延びさせる。源内さんの本を出し続ける」と宣言。蔦重も、「書をもって世を耕す」という源内の志を引き継ぎ、改めて決意します。
蔦重がその後一気に本を出して販路拡大を狙いフル回転するのですが、義兄の次郎兵衛に「変わったね」と言われます。「耕書堂を日の本一の本屋にするしか道がねえんでさ。恩に報いるには」と、志を語る蔦重。この思いはずっと消えることなく持ち続けています。

