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「べらぼう」源内生存説は有望!?退場しても存在感が薄れない“もう一度会いたいあの人”【平賀源内編】

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源内といえば紫地に白のクモ柄「流水紋様」の羽織

源内の「洒落者」らしい華やかで斬新な衣装も印象的でした。衣装デザインを担当した伊藤佐智子さんによると、「エキゾチックな柄の帯、変化に富んだ生地で作った着物や羽織など」を選択。“チャーミングで好奇心旺盛の源内なら好んだであろう衣装”を考えたとか。

史実では、源内が考案した“金唐革紙製”。それを使った巾着や紙ばさみは、伊藤さんが私物を提供して制作したそうです。

さらに、印象的だったのは、紫ベースに白のクモ柄の羽織「流水紋様」の羽織と蜘蛛の巣柄の着物です。源内がこの世をさり、さらに田沼意次(渡辺謙)が亡くなった嵐の夜のこと。鳥山石燕(片岡鶴太郎)の家の庭に、この柄の羽織を着た何者かが登場して「源内が、親友の意次を迎えにきたのか!?」と大いに話題になりました。あれは結局、誰だったのでしょうか。

実は、源内は、はめられて人を斬った罪で捕まる直前、『死を呼ぶ手袋』という筋書きの本の執筆をしていました。鷹狩に出かけた徳川家基(奥智哉)の急死の原因が、“手袋に塗られた毒”であることを突き止めていたのです。

それをベースに「江戸で『死を呼ぶ手袋』の噂を利用し悪事を働く悪党どもが出没、それを”七ツ星の龍”と親友の”源内軒”がコンビを組んで立ち向かうという、痛快劇を書き残しました。

”七ツ星の龍”とは、田沼意次のこと。田沼家の家紋である七曜紋と、意次の幼名が龍助だったことからそう名付けたのでしょう。

源内は、意次と激しい言い争いとなり絶縁状態になっていました。(実は意次は政争に彼を巻き込むまいと遠ざけたのですが)

『死を呼ぶ手袋』の原稿は何者かに盗まれてしまいましたが、一枚残っていた遺稿を読み、源内想いを察して涙する意次。意次に深い友情を抱いていたのがわかった場面は印象に残りましたね。

3ページ目 「書をもって世を耕す」だから「耕書堂」

 

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