大河「べらぼう」寛政の改革により閉門処分…”県門の四天王”と称された加藤千蔭(中山秀征)の生涯:2ページ目
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文化面への影響
ここまで加藤千蔭の生涯を駆け足でたどってきました。続いて千蔭が与えた和歌・書画などの影響も見ていきましょう。
歌人でもあった父の薫陶を受け、千蔭は伝統的な『古今和歌集』の歌風に江戸文化を織り込んだ独自の歌流を確立。村田春海と並び江戸派の双璧と称され、上方の文化人からも高く評価されています。
書に秀でて一流派を起こし、千蔭流と呼ばれました。その書を陶器に焼き込んだ千蔭焼や、織物にした千蔭緞子(〜どんす)が盛んに作られ、好事家らに収集されます。
千蔭流の人気は明治時代に入っても健在で、良家の令嬢らが好んで嗜みました。かの樋口一葉(ひぐち いちよう。旧五千円札の女性)も千蔭流に親しんだそうです。
終わりに
照る月は あやしきものか かなしとも
面白しとも 人に見えつつ※『うけらが花』より、加藤千蔭
【歌意】輝く月は不思議なもので、人によって、悲しいとも面白いとも感じられる。
同じ月を見ていても、見る人によって様々なとらえ方が出来る面白さを詠んだ一首です。
何が禍福か、解釈一つで変わるもの。閉門処分を受けたからこそ文化活動に専念できて、大成を果たしたのかも知れませんね。
大河ドラマではこの先も活躍するのでしょうか。中山秀征の好演に注目です。
※参考文献:
- 鈴木淳『橘千蔭の研究』ぺりかん社、2006年2月
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