『べらぼう』暴走する蔦重と定信をたしなめる人々と、「そうきたか!」な蔦重マジック【後編】:2ページ目
「人は『正しく生きたい』とは思わぬのでございます!」
かたや「我こそ正義」とばかりに突き進む松平定信を厳しく諌めたのが、重臣本多忠籌(矢島健一)です。
【べらぼう】後に松平定信の排除を図り…本多忠勝の血を引く老中「本多忠籌」の信念と結末
「盗賊になった者の中には農民もいるなら、農村に返せばいい、路銀も負担してやる」と言う定信に、「そうしたいと願いでた者はたった四人です」と伝えます。「なぜだ?こんないい策なのに」と現実をわかっちゃあいない、ふんどし坊ちゃん。
「村に戻っても、働いて働いて、土間で寝て年貢を取られるから、娘を売るしかない。そんな生活なら江戸で犯罪者になったほうがまし……という者のほうが多いのです。」
「越中守様、人は『正しく生きたい』とは思わぬのでございます。『楽しく生きたい』のでございます!」
と、本多に諌められます。
そして、自分と同じ反田沼派の松平信明(福山翔大)には「このままでは田沼以下の政との謗りを受けかねませぬ」とダメ押しされてしまうのでした。
今回、本多のこの言葉が一番沁みました。「人として正しく生きる」というと、一瞬聞こえはいいものです。けれども。
「正しく生きる」ためには、低賃金で働いても働いて働いて。
金がないのは「倹約が足りないのだ!遊ぶな、サボるな、楽しむな。倹約して金を作れ!」と、息抜きも許されない。
そんな、身を粉にして働くだけの毎日で、せっかく稼いだ微々たる金はお上に召し上げられ、けっして生活は楽にならない。娘の体を売って金を作らなければ、死ぬしかない。
そんな生活をしながら、「忠義に励みたい」などと思う人などいるはずもありません。
希望も未来も金もない人生なら、いっそ江戸に出て盗賊になったほうがましだ……そう思うのは無理からぬことです。
まるで生活苦にあえぐ人が多い、令和の今を見ているよう。さすが、いつも江戸と現代がシンクロする森下脚本。定信にくだされた鉄槌の言葉は、本人にはどう響いたのでしょうか。

