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朝ドラ「ばけばけ」実際に貧民となりその後は…雨清水タエ(北川景子)のモデル・小泉チエの生涯

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チエは物乞いとなるまでに落ちぶれ…

記録によると、物乞いとなるまでに落ちぶれていたようです。

『山陰新聞』によると「乞食までに至りし」と紹介。西田千太郎(彼の家はチエの実家・塩見家の家来筋)の『西田千太郎日記』によると「救済」という言葉が使われていました。

ドラマ『ばけばけ』でも、チエをモデルとした雨清水タエが凛とした様子で物乞いをしているシーンがありましたね。

当時の人はチエの様子をして「美人のおこも(物乞い)さん」とも言っていたようです。物乞いとなっても、佇まいだけは正していた…そんな雰囲気さえ感じます。

明治24(1891)年2月、セツがイギリス人の英語講師であるラフカディオ・ハーン小泉八雲)と結婚しました。

以降、高給取りであるハーンのお陰で、チエや稲垣家の面々の暮らしぶりは変わったと想像されます。

実際にチエの息子・小泉藤三郎は、セツやハーンの援助で生活しており、チエも助けられていたようです。

苦難の末、チエはようやく安定した暮らしを手にすることが出来ました。

大正元(1912)年1月、チエは世を去ります。享年74。

チエは武士の娘として生まれ、誇り高く生き、それゆえに苦しみを抱えた人生でした。彼女の生き方は、セツの生き方にも深く根ざしていくのです。

 

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