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【べらぼう】劇中で喜多川歌麿を支援した釜屋喜兵衛(U字工事 福田)とは何者?その生涯をたどる

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狂歌師・戯作者「通用亭徳成」として活躍

そんな喜兵衛は自身も創作活動に意欲が高く、狂歌師や戯作者としても活躍しました。

通用亭徳成(つうようてい とくなり)と称して唐衣橘洲(浜中文一)に入門。やがて判者を務めるまでに成長します。

後に息子の通環亭真袖(つうかんてい まそで)も狂歌師となり、父子で狂歌界を沸かせました。

米寿(べいじゅ。88歳)を迎えた安政2年(1855年)には栃木の料亭「柳園」で大狂歌会を開催。全国から約900名もの狂歌師が参加し、その中には上野国(群馬県)の柳直成(やなぎ ただなり)や下野国の河野守弘(こうの もりひろ)らも名を連ねます。

そのイベント規模から、喜兵衛の永年築き上げた人望の厚さが分かるでしょう。

翌年には記念狂歌本『都賀(つが)のやままつ』を出版しました。

また戯作者としては天保8年(1837年)に長編の合巻『敵鰹差身之業物(かたきにかつを さしみのわざもの)』を出版。そこには歌川芳虎(よしとら)・歌川芳升(よします)・歌川芳宗(よしむね)らが絵を入れています。

終わりに

そんな喜兵衛は安政3年(1856年)11月24日に89歳で世を去りました。

法名は興禅院感誉浄翁居士(こうぜんいん かんよじょうおうこじ)、墓所は菩提寺である近龍寺に眠っています。

釜屋伊兵衛ともども江戸の文化を支えた釜屋喜兵衛。今後も活躍してくれるか、楽しみですね!

※参考文献:

  • 市古貞次 監修『国書人名事典 3巻』 岩波書店、1996年
  • 上田正昭ら編『日本人名大辞典』講談社、2001年
  • 渡辺達也『新考証 歌麿と栃木』歌麿と栃木研究会、1991年
 

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