手洗いをしっかりしよう!Japaaan

朝ドラ『ばけばけ』劇中の「松野家」と「雨清水家」のモデル、実際にどれほど収入が減っていた?

朝ドラ『ばけばけ』劇中の「松野家」と「雨清水家」のモデル、実際にどれほど収入が減っていた?:2ページ目

小泉セツを取り巻く二つの家を比較する

朝ドラ「ばけばけ」では、序盤で松野トキ(セツがモデル)と関わりが深い松野家と雨清水家が登場しましたね。

松野家は実在した並士・稲垣家、雨清水家は上士・小泉家がそれぞれモデルとなっています。

劇中と同じく、江戸時代の禄高は小泉家が300石(500石説もあり)。稲垣家が100石の家でした。

江戸時代の御家人(下級幕臣)でも、一番多いのは30俵二人扶持です。どれほどセツが恵まれていた(はず)だったかわかると思います。

実際、小泉家と稲垣家はどれほどの禄をもらっていたのでしょうか。以下で少し年間の禄を計算してみましょう。

※1石=金1両=10万円とします。
※1石の場合、額面の35%ほどが支給されます。つまり1石の手取りは3万5000円です。

  • 小泉家

額面300石=手取りは300両×0.35=手取り1050万円

  • 稲垣家

額面100石=手取りは100両×0.35=手取りは350万円

しかし明治になると、上記からさらに

家禄20%カット+金録化(約25%)=減額分45%。

が差し引かれることとなりました。

これによって小泉家は約472万5000円まで収入が減っていたことになります。

ドラマの中で雨清水傳(堤真一さん)が「このままではやっていけなくなる」と言っていましたね。

それほど士族の収入は目減りしていて、困窮する家が後を断ちませんでした。士族にとっては変化を起こす必要があった時代でもあったわけです。

なお、稲垣家では明治8(1875)年に秩禄奉還(藩に秩禄を返還して、いくらかの公債を得ること)を断行。しかしそこで得た資金も商売で失敗して尽きてしまいました。

士族たちにとって、新時代・明治は大変生きにくい世の中となっていたのです。

関連記事:

もうおしまいだ…没落士族の悲哀を描いた明治時代の歌舞伎「水天宮利生深川」を紹介

「散切頭(ざんぎりあたま)を叩いてみれば、文明開化の音がする」かつて歴史の授業で教わったこのフレーズ、明治4年(1871年)に散髪脱刀令が出され、それまでの丁髷(ちょんまげ)を切って髪を散らす…

「武士」の本当の姿とは?戦国時代から江戸時代、明治維新まで変化してきたその役割

武士と聞くと、「主君に忠義を尽くし、戦いに生きる者」というイメージを持つ読者も多いかもしれません。しかし、武士の歴史を振り返ると、その役割や生き方は時代とともに大きく変化してきました。…
 

RELATED 関連する記事