【べらぼう】逃げ出した唐来参和(山口森広)、その後どうなった?大河では描かれない戯作者の行方:2ページ目
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狂歌師「質草少々」としても活躍
戯作者として活躍した唐来参和は、劇中でも描かれていた通り狂歌師としても才能を現します。
大田南畝(桐谷健太)に弟子入りして、質草少々(しちぐさ しょうしょう)の狂名を授かりました。
質草とは質屋に預け入れる品物で、それが少ししかないことを意味しています。そして深草少将(ふかくさのしょうしょう)をもじったのでしょう。
※深草少将とは小野小町から「百夜通ってくれたら付き合いましょう」と言われ、九十九夜まで通ったものの、百夜目で凍死してしまった人物です(モデルはいるが、創作人物)。
よほど思い入れていた女性がいて、彼女の元へ通うために質草を手放してしまったのかも知れませんね。
狂歌集には『狂文宝合記(きょうぶんほうごうき)』『老莱子(ろうらいし)』などに入集しました。
また『手拭合(たなぐいあわせ)』では跋(ばつ。後書き)を担当。他にも『徳和歌後万載集(とくわか ごまんざいしゅう)』『十才子名月詩集(じっさいしめいげつししゅう)』『吾妻曲狂歌文庫(あづまぶりきょうかぶんこ)』などに狂歌を残しています。
そして文化7年(1810年)1月25日、67歳で世を去ったのでした。
唐来参和・基本データ
- 生没:延享元年(1744年)生〜文化7年(1810年)1月25日没(67歳)
- 本名:加藤源蔵
- 屋号:和泉屋源蔵
- 狂名:質草少々
- 別名:唐来山人(とうらいさんじん)
- 身分:武士→町人
- 職業:高家家臣?→娼家経営・戯作者
今回はチーム蔦重のムードメーカー?唐来参和について紹介してきました。
劇中では逃げ出したことになってしまったので、このままフェイドアウトしてしまうかも知れません。
果たして彼の復帰はあるのか!?期待したいですね!
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