朝ドラ「あんぱん」消息は現在も不明…浜辺ヒラメ(浜野謙太)のモデル・海野かつをの生涯:2ページ目
テレビで開けた人気タレントへの道と怪傑アンパンマン
かつをは、コントの世界が斜陽化していると判断しテレビタレントへの道を歩み始めます。特に力を入れたのが、子供番組でした.
1970年代には、子ども番組『おはよう!こどもショー』で「ニャンダ」の声を担当。
昭和49(1974)年には、実写版の映画『ルパン三世 念力珍作戦』脇役の“パトロール警官”として出演を果たしました。
翌昭和50(1975)年には、脇役ながらも、市川崑監督の映画『吾輩は猫である』に「吉田虎蔵・刑事」役で出演し、俳優としての道を固めていきます。
こうした「テレビの声」と「映画の顔」の両輪が、当時の“お茶の間”での親しみを生みました。
華やかな主役ではなくとも、視聴者の記憶に残るタイプの芸人・俳優としての立ち位置は、独自の存在感を放っていたようです。
しかしこのとき、かつをは病に苦しめられていました。昭和49(1974)年頃には、病気療養に入ります。
このとき、かつをは関東ローカルの家電量販店チェーン「新栄電機」のテレビCMに出演。「ファイト!ファイト!新栄!」の掛け声とともに円陣を組むお馴染みの画で、強烈なインパクトを残しました。
新栄電機の社長はかつをを同社に勧誘。以降、芸能活動と並行して東京竹の塚店店長として歩むこととなります。
かつをは同店で接客を行う傍ら、系列店でのキャンペーンでは司会も担当するという役割をこなします。
昭和51(1976)年、かつをに舞台への出演オファーが届きます。のちに国民的作品となる『怪傑アンパンマン』への主演という大役でした。
かつをはアンパンマン役を好演。その後も舞台やドラマに参加するなど精力的に芸能活動を続けました。
かつをのCMも20年間にわたって放送。しかし平成15(2003)年2月13日、新栄電機は自己破産を申請して倒産してしまいます。
このとき、かつをは71歳となっていました。その後の消息は現在でも定かではありません。
一代で芸人、俳優として活躍した海野かつをは、今でも映像や事績で人々の心の中で確かに息づいています。
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