焼けばお金になった
江戸時代、江戸の町では使えなくなったものもゴミとして捨てず、新しいものにするための資源として活用されていました。
例えば、藁や木くずなどを燃やした際にできる灰はアルカリ成分が多く、焼き物の釉薬(陶磁器の表面に付着したガラスの層)に使われたり、火鉢の中に入れるなどして活用されています。
そんなこともあって灰を買い集める灰買いも存在しており、集めた灰はお酒や紙をつくるときに使われたり、肥料や洗剤、染料などとして幅広く活用されました。
そのため、どの家にも灰を溜めるための箱や小屋があったほどです。
また、江戸の人々はアサリやハマグリなどの貝類を好んで食べましたが、残った貝殻を焼いて貝灰をつくり、漆喰(消石灰を主原料とする塗り壁材)として活用することもめずらしくありませんでした。
無駄な「消費」もゴミもなし
道に落ちている紙くずや木くずも再利用されたので、これらを拾い集めるのを生業にする人たちもいました。
紙くずは再生紙として生まれ変わり、木くずは燃料用として銭湯などに売られたのです。
ほかにも、古くなった包丁や鍋などのくず鉄を買い取る古鉄買い、壊れた傘を買い取る古傘買いなども存在し、集めたものは新しい鉄製品や傘などに再活用されました。
こうした回収業者は現代でいう清掃業者の役割も担っており、そのため江戸の町にはゴミがほとんどなかったといいます。
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また、ゴミがほとんどなかったのはもうひとつの理由があります。江戸の町は現代のような消費社会ではなく、衣服から家財道具に至るまで庶民はほとんどレンタルで賄っていたのです。
江戸には損料屋というレンタル業者の走りのような店があり、庶民に重宝されていました。
損料屋では布団や蚊帳、宴会用の食器など、ありとあらゆるものを借りることができました。
当時の庶民が住んでいた長屋の部屋は6畳程度で家財道具を置く余裕もなく、火事も頻繁に起きたので、「買う」のではなく「借りる」のは合理的な選択だったのです。
