【べらぼう】なぜふんどし野郎?なぜていは眼鏡を外した?響く「屁!」コールほか… 第34回の振り返り:3ページ目
ありがた山とかたじけ茄子…成り上がり者たちの別れ
田沼派が次々と見せしめにされていく中、蔦重は永年の恩人である田沼意次を訪れました。
第1回放送「ありがた山の寒がらす」で強引な対面を果たして以来、永年にわたり田沼治世の申し子として成り上がってきた蔦重。成り上がり者同士、恐らくこれが永の別れとなるのでしょう。
「田沼様。私は、先の上様のもと田沼様が作り出した世が好きでした。皆が欲まみれで、いいかげんで……でも、だからこそ分を越えて親しみ、心のままに生きられる隙間があった」
今や誰もが田沼叩きに熱狂する中、節義を変えぬ蔦重の言葉に、意次はどれほど励まされたかわかりません。
「俺もお前と同じ、成り上がり者だからな。持たざる者には、よかったのかも知れぬ。けれど、持てる側からしたら、憤懣やる方ない世でもあったはず。今度は、そっちの方が正反対の世を目指すのは、まぁ、当然の流れだ」
世の中はバランスをとろうとしながら、両極端に偏り流れ続けるのが常というもの。いつの世にも通じる摂理と言えるでしょう。
しかし、蔦重はその流れに抗うために決意を告げます。最後の田沼派として、田沼治世の風を守るため、田沼の名を汚すことさえ覚悟して。
「好きにするがいい。自らに由(よし)として『我が心のまま』にじゃ」
「ありがた山の寒がらすにございます!」
「こちらこそ、かたじけ茄子だ」
心から笑い合い、そして二人はそれぞれの闘いに赴くのでした。
