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『べらぼう』で有吉弘行が演じる服部半蔵正礼の生涯。黄表紙を愛したことが皮肉な結果に…

『べらぼう』で有吉弘行が演じる服部半蔵正礼の生涯。黄表紙を愛したことが皮肉な結果に…:2ページ目

定信の失脚後

やがて寛政5年(1793年)に定信が失脚し、所領の白河へ帰った後もその政治を支えます。

文化7年(1810年)に房総半島の沿岸防備が下命された時は、現地で後詰(ごづめ。後方支援など)を担当しました。

文化9年(1812年)には定信が隠居し、嫡男の松平定永(さだなが)が家督を継いだ後もこれを補佐し続けます。

やがて文政6年(1823年)に定永が伊勢国桑名へ転封されると現地へ同行し、翌文政7年(1824年)閏8月14日に87歳で世を去りました。

墓所は顕本寺(三重県桑名市)、法名は賜錦院智信道元日記居士(しきんいん ちしんどうげん にっきこじ)。

賜錦院とはかつて松平定邦より錦嚢(錦の袋)を賜ったことが由来です。

また最後の日記居士とは、天明3年(1783年)から文政5年(1822年)まで約40年間にわたって日記『世々之姿(よよのすがた)』を書き続けたことに由来します。

『世々之姿』には幕府や諸藩との交流や紀行文、書状の写しなど多岐にわたる内容が記され、貴重な史料となりました。

自ら日記老人と称していたことから、よほど日記に心血を注いでいたのでしょうね。

終わりに

今回は松平定信に仕えた服部半蔵正礼の生涯をたどってきました。

黄表紙を愛していたものの、自身の立場から結果的に黄表紙文化を先細らせてしまう事になるとは、皮肉と言うよりありません。

果たしてNHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」では、有吉弘行がどのような活躍を演じてくれるのか、楽しみに見守りましょう。

※参考文献:

  • 家臣人名事典編纂委員会 編『三百藩家臣人名事典 2巻』新人物往来社、1988年1月
  • 佐藤信夫 編『三重県郷土資料叢書 桑名人物事典』三重県郷土資料刊行会、1971年

トップ画像:NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。

 

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