孔子を「斬る」と言い放った学者!幕末尊王思想のルーツはここに…知られざる山崎闇斎の生涯【後編】:2ページ目
2ページ目: 1 2
晩年と祀られた闇斎
晩年、闇斎は自らの心神を祀る「垂加霊社」を建てました。人の心は天神と同じである――そう考え、自分を神として祀ったのです。死後、この社は下御霊神社に移され、現在は猿田彦神社に合祀されています。墓は京都・金戒光明寺にあります。
山崎闇斎は、僧侶から儒学者、そして神道思想家へと変わり続けながら、日本独自の学問を築いた人物でした。直接政治を動かしたわけではありませんが、その思想は百年以上の時を経て幕末の志士たちを突き動かしました。
歴史の表舞台にはあまり登場しませんが、彼の存在を知ることは「なぜ幕末の人々があれほどまでに天皇を重んじたのか」を理解する手がかりになります。波乱に満ちたその人生は、今の私たちにも「学問に生きるとはどういうことか」を問いかけているのかもしれません。
参考文献
伝記学会(編)『山崎闇齋と其門流』(1938 明治書房)
伝記学会(編)『 (増補・山崎闇齋と其門流』(1943 明治書房)
澤井啓一『山崎闇斎:天人唯一の妙、神明不思議の道』(2014 ミネルヴァ書房)
ページ: 1 2