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孔子を「斬る」と言い放った学者!幕末尊王思想のルーツはここに…知られざる山崎闇斎の生涯【前編】

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京都での学問活動

1655年、闇斎は、京都の堀川沿いに私塾を開きました。のちに伊藤仁斎が古義堂を開いた場所の近くで、京都の学問界を刺激する拠点となります。弟子が集まり、やがて「崎門学派」と呼ばれる流れが形づくられていきました。

闇斎はただ経典を講じるだけではなく、自分の言葉で考え、弟子と議論を重ねました。その厳しさと真剣さが、多くの人を惹きつけたのでしょう。

神儒融合への道

1665年、江戸に赴いた闇斎は、会津藩主・保科正之に迎えられました。ここで彼は藩政に助言する一方、吉川惟足の神道を学びます。そして、儒学と神道を統合した「垂加神道(すいかしんとう)」を生み出しました。

神々を儒学的な秩序の中に位置づけ、日本の社会や政治を説明し直す。その独創性は、従来の神道とも幕府の朱子学とも異なる新しい思想でした。

それでは次に、この思想がどのように受け継がれ、幕末の尊王思想に結びついていくのかを見ていきます。

【後編】の記事はこちら↓

孔子を「斬る」と言い放った学者!幕末尊王思想のルーツはここに…知られざる山崎闇斎の生涯【後編】

前編では、僧から儒者へと転身した山崎闇斎が、やがて神道と儒学を結びつけて「垂加神道」を生み出すまでをたどりました。【前編】の記事↓[insert_post id=256486]では、その思想は…

参考文献

伝記学会(編)『山崎闇齋と其門流』(1938 明治書房)
伝記学会(編)『 (増補・山崎闇齋と其門流』(1943 明治書房)
澤井啓一『山崎闇斎:天人唯一の妙、神明不思議の道』(2014 ミネルヴァ書房)

 

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