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悪党から天皇の忠臣へ――武将・楠木正成が貫いた忠義と美学、そして悲劇の最期…【前編】

悪党から天皇の忠臣へ――武将・楠木正成が貫いた忠義と美学、そして悲劇の最期…【前編】:3ページ目

ついに鎌倉幕府滅亡!正成はヒーローとなるが…?

鎌倉幕府軍敗走―そのニュースは、日本各地を駆け巡りました。後醍醐天皇の皇子・護良親王(もりよししんのう)が各地の将に呼び掛け、源氏の新田義貞らが挙兵、更には隠岐を逃げ出していた後醍醐天皇から勧誘された足利高氏(のちの尊氏)が次々に朝廷に降伏し、幕府を追い込んだのです。

六波羅探題は足利が、鎌倉の本拠地は新田がそれぞれ陥落させ、為す術を失った北条高時は自決して鎌倉幕府は滅亡します。それは、千早城の戦いが終わってからわずか12日後の事でした。

正成は後醍醐天皇を京都にお迎えする先導役を任せられ、朝廷による建武の新政が開始されると、河内の国司を始めとした破格の待遇を受けます。そうした寵愛を正成が受けていた頃、下級武士達は不遇をかこっていました。

朝廷に実権を取り戻した政治こそ正しいとした建武の新政は、当初こそ武士や民にとっても救いでしたが、得をしたのが戦わなかった貴族や僧だったり、各地の慣習を無視したことから来る裁定のせいで武士達の生活は困窮します。

それが、正成を悲劇へと追い込んでいくのですが、次回【後編】で紹介します。

【後編】の記事はこちら

悲劇のヒーロー楠木正成、盟友・足利尊氏との宿命の戦いで散った忠臣の最期と”伝説化”の道【後編】

【前編】の記事では、得意の戦法で鎌倉幕府を倒し、“日本をせんたく”した楠木正成の活躍について紹介しました。[insert_post id=256317]【後編】では、彼の身に降り掛か…
 

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