『べらぼう』松平定信(井上祐貴)を転落へと追い詰めた事件とは?正論の押し付けが仇となり一橋治済とも対立:2ページ目
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定信の晩年
一部に定信を惜しむ声はあったものの、余計な諍いを起こすのは御政道の妨げとばかり、定信は所領の白河藩へと帰国していったのでした。
寛政の改革も道半ば(というか問題山積状態)で帰国した定信については、世の人々も快く思わなかったようです。
五、六年 金も少々 たまりつめ
かくあらんとは 誰も知ら川【歌意】5〜6年ほどの江戸勤務(溜詰・たまりづめ)で、いくらかカネが貯まり詰めたようだ。まさか白河藩へ帰ってしまうとは……こんな展開、誰も知ら川(白河。知らなかった、予想できなかった)だよ。
冒頭の「白河の〜」で知られる通り、上下に倹約や表現規制・思想統制を強いたことなどから、後世あまり評判のよくない寛政の改革。
しかし幕府の財政再建については一定の成果を上げており、一説には幕府の寿命を半世紀ほど延ばしたとも言われます。
また定信の去った後も、彼の政治思想は松平信明(のぶあき)・牧野忠精(ただきよ)ら「寛政の遺老」に引き継がれ、幕末まで影響を与えました。
そして白河藩では以前の通り所領統治に心血を注ぎ、名君と称えられながら天命をまっとうしたのです。
終わりに
今回は松平定信が失脚した尊号一件を中心に紹介してきました。
やっと憎っくき田沼を追い落としたのに、一橋によってその座を追われてしまう様子は、諸行無常を感じられてなりません。やはり、ラスボスは治済だったようですね。
清濁併せのむことで長期政権を維持した意次に比べて、定信は融通が利かなかったようです。
とかく堅物で世に疎まれた印象の定信ですが、どこまでも天下に対して忠義を尽くしたことは間違いないでしょう。
果たしてNHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」では、定信政権がどのように幕引きされるのでしょうか。
心して見守りたいと思います。
※参考文献:
- 高澤憲治『人物叢書 松平定信』吉川弘文館、2012年12月
- 田中暁龍『近世の公家社会と幕府』吉川弘文館、2020年12月
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