大河『べらぼう』苦しむ歌麿の呪縛を解いた、現代のクリエーターの魂を揺さぶる鳥山石燕の言葉【後編】:2ページ目
現代のクリエーター達にも響く鳥山石燕の言葉
蔦重は、「今、歌麿はこんなものを描いているんです」よ、鳥山石燕に歌麿が黒く塗りつぶした絵を見せます。
あやかしが塗り込められておる
そやつらはここから出してくれとうめいておる
三つ目、なぜ、かように迷う? 三つ目の者にしか見えぬモノがあろうに
絵師はそれを 写すだけでいい 写してやらねばならぬとも言えるがな
見える奴が描かなきゃ、それは誰にも見えぬまま消えてしまうじゃろう?
その目にしか見えぬものを現してやるのは
絵師に生まれついたものの つとめじゃ
歌麿の、蔦重の期待に応えたい強い想いと焦り、凄惨な過去から逃れられない苦しみを解き放ったのが、この石燕のまっすぐな絵師としての言葉でした。
「お前は才能に恵まれている。心に頭に浮かんだものをそのまま素直に絵にしろ。迷いを捨てて、純粋に“絵”を描け」というメッセージに打たれ、「弟子にしてくだせえ」頭を下げる歌麿。
このシーンは、多くの視聴者に感動を与えたようです。絵を描くことを生業にしている人にはもちろんダイレクトに響く言葉ですが、SNSの意見を見ると、絵だけに限らず、文字、文章、踊りなど、“何かを表現する人”すべてに響いたようでした。
石燕の言葉に視線を下に落とした蔦重には「クリエーターとして悩みの沼に落ちた歌麿を救えるのは、俺ではなく同じクリエーターの師匠しかない」という表情が感じ取れました。
弟子入りするために耕書堂を出て、石燕の家にいく歌麿。歌麿が腕を上げて本が売れれば俺も万々歳、「こっちは骨を折らずとも『濡れ手に粟』ってもんよ」と、強がる蔦重。けれど、「いろいろ間違ってましたさ」は、本当に寂しげでした。
「濡れ手に粟、棚から牡丹餅」は蔦重の地口なのですが、生真面目なていは「濡れ手で粟」と即、修正。「今、そこじゃない!」と言いたくなるようなズレている感で、そっけないのですが、落ち込む蔦重を思い遣ってツッコミをしているのが分かります。
そして、「あんたは本を売るのが仕事だろ?」と、はっぱをかけるつよ(高岡早紀)は実の母親らしい励まし方。「なぐさめてんじゃねえよ!ばばあ」という蔦重の間に親子愛を感じました。
