江戸時代に出現した非公認の遊女街「こんにゃく島」の正体と歴史をたどる【べらぼう外伝】:2ページ目
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岡場所「こんにゃく島」の遊女たち
こんにゃく島は深川の花街と近かったことから、システムや遊女の髪型・衣裳などがよく似ていたそうです。
他の岡場所より開業が遅かったことから、深川以外にも芝神明町あたりからも遊女が流れ込みました。
こんにゃく島の遊女は深川と同じく、通いの「呼出(よびだし。客が呼び出す)」と、妓楼で接客する「伏せ玉(ふせだま)」がいたと言います。
引手茶屋の代わりに水茶屋があり、引手嬶(ひきてかかあ)と呼ばれる女主人が客を妓楼に連れていくスタイルでした。
こんにゃく島の妓楼では遊女たちを並ばせる張見世がなかったため、このようにしないとなかなか客が捕まらなかったようです。
それで肝心の揚代(遊女の利用料)は、一切(ひときり。約1時間)で銀7匁5分(約12,000円)ほど。他の岡場所に比べると随分と強気な価格設定ですが、最大の岡場所であった深川の影響か、あるいは張り合っていたのかも知れません。
客としてみればたまったものではなく、洒落本『寸南破良意(すなはらい)』では「岡場所の中で、こんにゃく島ほど当たりはずれの大きなところはない(意訳)」とこき下ろされています。
遊女は客を選べないが、客も遊女を選べない……この金額だったら、他に行こうかな……と客足が遠のいてしまったのかも知れませんね。
終わりに
今回は江戸近郊の岡場所「こんにゃく島」について紹介してきました。
わずか20年ほどの歴史ですが、そこには様々なドラマがあったことでしょう。
そうしたエピソードについても、また調べて紹介したいと思います。
※参考文献:安藤雄一郎 監修『江戸を賑わした 色街文化と遊女の歴史』カンゼン、2018年12月
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