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京都の花街、知られざる“お茶屋遊び”の世界――舞妓さんにスポットをあて世界を深堀り【前編】

京都の花街、知られざる“お茶屋遊び”の世界――舞妓さんにスポットをあて世界を深堀り【前編】:2ページ目

戦前は貧しさゆえに五花街へ奉公に出され、その流れで舞妓になったという少女も多かったというが、現在では京都を訪れた際に舞妓と出会い、その美しさに魅了されてなりたいと自ら希望し、舞妓を目指すのが普通となったのだ。

月はおぼろに東山
霞む夜毎のかがり火に
夢もいざよう紅桜
しのぶ思いを振袖に
祇園恋しや だらりの帯よ

夏は河原の夕涼み
白い襟足ぼんぼりに
かくす涙の口紅も
燃えて身を焼く大文字
祇園恋しや だらりの帯よ

鴨の河原の水やせて
咽(むせ)ぶ瀬音に鐘の声
枯れた柳に秋風が
泣くよ今宵も夜もすがら
祇園恋しや だらりの帯よ

雪はしとしと丸窓に
つもる逢瀬(おうせ)の差し向い
灯影(ほかげ)つめたく小夜(さよ)ふけて
もやい枕に川千鳥
祇園恋しや だらりの帯よ
[長田幹彦作詞・佐々紅華作曲]

上記は、京舞四世井上八千代が振り付けを手がけ、祇園を代表する舞踊として有名な『祗園小唄』の歌詞である。ここにも書かれているように、京友禅の美しい着物をまとい、金銀模様のだらりの帯を締めた可憐で美しい舞妓の姿に憧れ、毎年多くの少女たちが花街の門をくぐる。

しかし、憧れだけでは務まらないのが、この花街での仕事である。現在では義務教育があるため、多くの少女は中学校を卒業した15〜16歳で屋形(置屋)に住み込み見習いとなる。そして、そこで“おかあさん”や先輩舞妓から礼儀作法や京言葉を徹底的に教え込まれる。

さらに、舞妓の本領である舞の修行に加え、茶道・小唄・華道などの芸事も学ばなければならない。こうした見習い期間を経て、大半の少女は約1年後、晴れて舞妓として「みせ出し」を迎えるのである。

見習い期間が約1年と聞くと、「なんだ、そんなに短いのか」と思う人もいるかもしれない。だが、あえて言えば「わずか」1年間なのである。この1年には非常に濃密で厳しい修行が詰まっており、つらさに耐えきれず辞めてしまう子もいる。また、舞妓になってからも、お座敷に馴染めず挫折してしまう子もいるという。

そして中学を卒業してから見習いとなる現在では、舞妓としていられるのは20歳までだ。つまり、僅か4~5年しか、舞妓としての時間がないことになる。舞いにしても、小唄にしても芸の道の精進には終わりはない。その短い期間でいかに修行を重ねるかが重要で、これが出来なければ舞妓を卒業して芸妓になったとしても、自分が思い描くような花街での活動は難しくなってしまうのである。

舞妓は華やかな見た目とは対照的に、厳しい修行や日々の努力が求められる大変な職業であることを、理解してもらえただろうか。

3ページ目 10代の若さで多彩な知識が身に付く

 

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