幕府も黙認、江戸時代の寺社はカジノ状態。なぜ江戸の博徒は寺社に集まったのか?【後編】:2ページ目
一揆では盗賊もごたまぜ
ここまで博徒が力を持ってくると、当然取り締まりも強化されるだろうと思うかも知れません。しかし、そうはなりませんでした。
幕府の直轄地である天領には武士の役人がいなかったので、警察権が弱かったのです。よってもともと博徒を生みやすい土地柄だったのも、賭博が流行した大きな理由のひとつでした。
享保9年(1724)から天領化している甲斐国(山梨県)にもそういった歴史があります。
駿河の清水次郎長との抗争を繰り広げた黒駒勝蔵や、浪士組(新選組の前身)に参加した祐天仙之助など、有名な博徒を多数輩出しています。
当地では天保7年(1836)には甲斐騒動(郡内騒動・天保騒動とも)と呼ばれる百姓一揆が起きましたが、これに多くの博徒や盗賊が加わったことで騒動が激化・無秩序化していったのは、歴史が好きな人ならご承知の通りです。
