【べらぼう】なぜ佐野政言は田沼意知を斬ったのか?史実資料から実際の犯行の動機を解説:2ページ目
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一躍「世直し大明神」に
私怨から犯行に及び、非業の死を遂げた政言ですが、田沼政権に嫌気が差していた人々からは「世直し大明神」「佐野大明神」などと持て囃されました。
当時高止まりだった米の相場が下がったことなどが理由と言われます。ただし米相場の落ち着きは幕府の施策によるものであり、今回の刃傷事件とは関係がありません。
それでも人々は政言の「義挙」と非業の最期に同情し、墓がある浅草徳本寺には参詣者が詰めかけ、線香の煙が絶えなかったそうです。
また意知を斬った脇指が粟田口忠綱(あわたぐち ただつな)の作であったことから、同作の人気が高まり、価格も上昇しました。
他にも寛政元年(1789年)には事件をモデルとした黄表紙『黒白水鏡(こくびゃくみずかがみ)』が出版され、また浄瑠璃や歌舞伎の「有職鎌倉山(ゆうそくかまくらやま)」などが田沼騒動物が演じられています。
終わりに
◆佐野政言/矢本悠馬
さの・まさこと/やもと・ゆうま
反田沼の“世直し大明神”
佐野家は三河以来、徳川家に仕えた歴史があり、代々番士を務めた家柄。江戸城内で若年寄の田沼意知(宮沢氷魚)に切りつけ、重傷を負わせ絶命させた。幕府は「私憤からの乱心」として切腹を命じるが、庶民からはこれを「世直し大明神」と称えられることになる。
※NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。
劇中では何かと不憫キャラとして、視聴者の同情を集めてきた佐野政言。
「佐野の桜は、いつ咲くのか」
老いたる父の言葉に胸を痛めつつ、第27回放送「願わくば花の下にて春死なん」でついに暴発してしまうのでした。
『べらぼう』ついに佐野政言が刺殺の暴挙!あまりの急転落に視聴者のメンタル限界に…
米の価格が下がらない……幕府の打ちだした米穀売買御勝手次第(べいこくばいばいごかってしだい)も効果がなく、放屁賄賂御勝手次第(へっこきまいない~)などと揶揄されてしまいます。ますます窮地に陥る…
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