大河『豊臣兄弟!』でどう描く?主人公・豊臣秀長を支えた家臣・横浜一庵の功績と非業の末路:2ページ目
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秀吉の直参となるが……。
文禄の役(第一次朝鮮征伐)で秀保が名護屋まで出陣した際には、国許の留守を預かりながら京都伏見の秀吉と連絡を取り合いました。
文禄2年(1593年)閏9月23日には秀吉の開いた茶会に同席。こうしたコネ作りが、後に活きたことでしょう。
やがて文禄4年(1595年)に秀保が17歳で急死すると、秀長家は断絶してしまいます。
国主不在となった大和国には、増田長盛(ました ながもり)が赴任してきました。
しかし一庵は長盛に仕えず、秀吉の直参家臣として、側近く仕えるようになったのです。
傍から見れば出世ですが、これが後に運命の分かれ道となりました。
文禄5年(1596年)閏7月13日、秀吉らのいた伏見を大地震が襲います。
後世に伝わる慶長地震によって、一庵は崩落・倒壊した瓦礫に潰され、生命を落としてしまったのでした。享年47歳。
終わりに
今回は三家老の筆頭格として秀長を補佐した横浜一庵について、その生涯をたどってきました。
こうして見ると能吏として手腕を振るった印象ですが、秀長・秀保の治世として悪名高かった「ならかし(奈良貸し)」とも無関係ではありません。
奈良貸しとは、いわば奈良市中における行政主導の悪徳金融で、豊臣家の財産を築き上げる一助となりました。
非道な取り立てに奈良市中の者たちは苦しみ、返済に窮して一家心中や強盗殺人が相次いだと言います。
(※地震による被災死は、一庵に対する人々の怨みだったのでしょうか)
果たしてNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、この悪業がどのように描かれるのか、また横浜一庵を誰が演じるのかも興味深いですね。
来年のことを言うと鬼が笑いそうですが、今から楽しみにしておきましょう!
※参考文献:
- 阿部猛ら編『戦国人名事典』新人物往来社、1987年3月
- 新人物往来社 編『豊臣秀長のすべて』新人物往来社、1996年7月
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