大河「べらぼう」吉原遊郭での”芸者”の役割とは?遊女との違いはどこにあるのか?【前編】:3ページ目
もともとは遊女と同じだった吉原芸者
さて、深川芸者の次に、吉原芸者についてお話ししたいと思います。その前段として、朋誠堂喜三二(尾美としのり)が記した随筆『後はむかし物語』の記事を紹介しましょう。そこには、吉原における女芸者の起源についての記述があります。
それによりますと「よし原芸者というも、扇屋花扇に始まり、宝暦十二年の頃なり。その後、おいおい外の娼家にも出たり。うしろ帯して見世に並び居たり。」と記されています。
これによると、吉原で芸者が誕生したのが、芸者が全盛になった宝暦年間(1751~1764年)とされ、やはり深川芸者の次に吉原芸者が生まれたことを証明しています。
ただし喜三二によれば、この頃は吉原では芸者も張見世に出て客をとっていたというのです。つまり、吉原ではもともと遊女と芸者は同じものであったと認識されていたようです。
それでは【後編】で、そのような吉原の芸者が、その後どのような変貌を遂げていったのかについて話しを進めていきたいと思います。
【後編】の記事はこちら↓
「べらぼう」吉原遊郭での”芸者”の役割とは?裏では遊女の領域を侵し検挙される事件も【後編】
江戸時代の吉原遊郭を舞台にストーリーが展開する大河ドラマ「べらぼう」。作中では、花野井(小芝風花)や誰袖(福原遥)といった遊女たちにスポットが当たりがちですが、吉原には遊女のほかにも多くの芸者…
※参考文献
菊池ひと美著 『花の大江戸風俗案内』ちくま文庫
樋口清之著 『もう一つの歴史をつくった女たち』 ごま書房新社


