手洗いをしっかりしよう!Japaaan

お手本はアメリカ。天下の日本銀行はなぜ誕生したのか?西南戦争と紙幣整理の真相

お手本はアメリカ。天下の日本銀行はなぜ誕生したのか?西南戦争と紙幣整理の真相:2ページ目

不換紙幣整理のための荒療治

当時、大蔵卿(現在の財務大臣)だった大隈重信「紙幣を増発してインフレーションになったとしても、いずれ好景気になれば税収が増える」と主張しました。

しかし、国会開設時期をめぐる政府内部の対立により、1881(明治14)年に大隈重信は失脚して政府から追放されてしまいます。

大隈重信にかわって大蔵卿に就任したのが松方正義です。

松方はインフレーションの原因は大量に発行された不換紙幣にあるとして、通貨の信用制度を確立して日本経済を立て直すため、1882(明治15)年に日本銀行条例を公布し、日本の中央銀行として日本銀行を設立します。

まず、松方は増税をして紙幣を回収し、政府の支出を減らす緊縮予算を編成。そうして世の中に出回っている紙幣の量を減らしました。

つまり、日本銀行の最初の仕事は不換紙幣を整理して「減らす」ことだったのです。実際にはどうして「減らした」のかというと、回収した紙幣を焼却処分しました。

今から見るともったいない感じもしますが、紙幣価値を回復するためにはそれくらいの荒療治が必要だったのです。

関連記事:

戦争が終われば今度はインフレ!現代にも通じる急激な物価高に人々はどう立ち向かったか?【前編】

インフレーションの発生第二次世界大戦が終わり、経済が復興する過程では、しばしば激しいインフレーションが起こりました。インフレーションとは、貨幣が大量に流通することで貨幣価値が下落し、物価が高騰する…

日本のお金の単位が「円」になった理由。円形だから?海外の通貨を真似たから?

日本のお金は、江戸時代まで「両」「文」といった単位が使われていました。これが「円」に変わったのは、1871年、それまで、地域でバラバラだったお金の単位を統一しようと「新貨条例」が制定されたときのこと。…

参考資料:執筆・監修阿部泉『明日話したくなるお金の歴史』清水書院、2020年
画像:photoAC,Wikipedia

 

RELATED 関連する記事