大河「べらぼう」前半の名シーン5選|視聴率が伴わない理由と波乱の後半戦を解説:4ページ目
【大河べらぼう】後半の展開と期待
ここまでNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」前半を振り返ってきましたが、後半は天明3年(1783年)から蔦重が亡くなる寛政9年(1797年)+エピローグまで残り14年ほどが、半年かけて描かれます。
後半の略年表
天明6年(1786年)
- 徳川家治が世を去り、田沼意次が失脚する
天明7年(1787年)
- 松平定信が老中となり、寛政の改革が始まる
天明8年(1788年)
- 蔦重が朋誠堂喜三ニ『文武二道万石通』を出版、改革を批判する
寛政元年(1789年)
- 蔦重が恋川春町『鸚鵡返文武二道』を出版、改革を批判する
蔦重が唐来参和『天下一面鏡梅鉢』を出版、改革を批判する
寛政2年(1790年)
- 幕府が出版規制を強化する
寛政3年(1791年)
- 蔦重が出版した山東京伝『箱入娘面屋人魚』などが摘発される
- これにより、蔦重は身上半減(全財産の50%没収)に処される
※以後、蔦重は表現方法を工夫するほか、書物問屋への事業展開を図る
寛政6年(1794年)
- 芸術性の違いから、蔦重と歌麿が疎遠になる
- 看板絵師を補充するため、蔦重が東洲斎写楽を起用する
寛政7年(1795年)
- 東洲斎写楽の活動が止まり、蔦重が歌麿との関係修復を図る
寛政8年(1796年)
- 遠回しな表現方法も幕府によって規制される
- 蔦重が体調を崩し、伏しがちとなる
寛政9年(1797年)
- 5月6日、蔦重が脚気で世を去る(享年48歳)
ごくざっくりまとめると「寛政の改革によって大打撃を受け、苦境の中で再起を図りつつ世を去る」と言ったところでしょう。
寛政の改革では、松平定信(寺田心⇒井上祐貴)&一橋治済(生田斗真)らがここぞとばかり改革の大鉈を振るう姿が目に浮かびます。
そんな中で「何がどう転んでも、ずっと蔦重の隣にいる」と言っていた歌麿が、どんな思いで蔦重の元を去っていくのかも気になるところです。
他の仲間たちも次々と筆を置き、あるいは世を去っていく中で、残された蔦重の苦闘が後半の見せ場と言えるでしょう。
孤独にさいなまれる蔦重を、妻のてい(橋本愛)がどう支えていくのか、その辺りも注目が集まります。
終わりに
【大河べらぼう・後半の見どころまとめ】
一、蔦重とていの絆
一、蔦重と歌麿の絆
一、蔦重と仲間たちとの絆
一、表現の自由を守る抵抗と闘争
早いもので、もう半年が過ぎてしまった令和7年(2025年)。NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」も折り返しになってしまいましたが、今から見てもまだまだ楽しめます。
どうか蔦屋重三郎や仲間たち、そしてライバルたちの活躍にご期待ください。

