【大河べらぼう】シュールすぎる蕎麦とうどんの戦い!恋川春町『うどんそば化物大江山』とはどんな作品?:2ページ目
八文大菩薩の御加護を受けて……
意気揚々と出発した渡辺陳皮。しかし変化の手先である夜蕎麦童子(よそばどうじ)が現れ、死闘の末に取り逃がしてしまいました。
この夜蕎麦童子は蕎麦界の裏切り者で、変化の親玉である饂飩童子(うどんどうじ)に味方していたのです。
同じ蕎麦なのに、どうして……実は当時の夜蕎麦(固定の店舗を構えず、屋台を担いで振売りする蕎麦商い)が蕎麦屋に対する風評被害をもたらしており、そのため本作では敵役として描かれたのであろうと考えられています。
※ちなみに饂飩童子のモデルは酒呑童子(しゅてんどうじ)、夜蕎麦童子のモデルは茨木童子(いばらきどうじ)です。念のため。
そんなこともあって、いよいよ饂飩童子の追討宣旨が下されました。
「大勢で行ったのでは敵も守りを固めてこちらの被害が大きくなる。ここは少数精鋭で任務を遂行するのがよかろう」
源蕎麦粉の発案によって、彼と四天王の5人が山伏に扮装して大江山へと旅立ちます。
荷物の中には蕎麦切包丁や蕎麦打板(うちいた)、薬味を粉にする擂粉木(すりこぎ)や下金(おろしがね)などの武器を隠し、準備に余念がありません。
すると道中、5人の前に謎の老人が現れて言いました。
「油断するでないぞ。饂飩童子は変幻自在、時には干し饂飩、時には焼き餅に化けて襲いかかってくるだろう。そこでそなたらに、この麺棒を授けよう。これは浅草で買って来たもので、堅い樫(かし)の木で出来ている。これで打てば、さすがの饂飩童子ものびないことはなかろう。ゆめゆめ疑うでないぞ。わしはそなたらが日ごろ信仰している八文大菩薩じゃ……」
八文大菩薩とは武神・八幡大菩薩のパロディ。蕎麦が一杯八文(※)だから、そう名づけたのでしょう。
(※)ただし恋川春町が活躍していたころは一杯が十二~十四文くらいになっていたため、昔の物価で時代感を表現したものと思われます。
にしても化物退治の神器を浅草で買って来たというところが、実にシュールですね。
ともあれ八文大菩薩の加護を受けて大江山に到着した5人は、饂飩童子に酒を振る舞って酔い潰します。
そして泥のように眠りこけたところを、浅草で買って来た麺棒でボッコボコに打ちのめしたということです。
これじゃどっちが悪役か、分かったもんじゃありませんね。
終わりに
かくして江戸には蕎麦屋が栄え、饂飩屋はほとんど見なくなりました……というオチ。
……されば蕎麦切りは、心のままにうどんを従え、一天に名を広めける。さるによって、江戸八百八町にも、蕎麦屋と呼ぶ、その数挙げて数えがたけれども、うどん屋と呼ぶは万が一なり……
※恋川春町『うどんそば 化物大江山』より
蕎麦も饂飩もそれぞれ美味しいのだから、どっちも仲良く食べればいいのに……とは思うものの、こういう無駄な張り合いを面白がるのが江戸っ子というものでしょうか。
他にも恋川春町は多くの作品を世に残しているので、改めて紹介したいと思います。
※参考文献:
- 新島繁『蕎麦の事典』講談社学術文庫、2011年5月
- 水野稔『古典文庫第264 黄表紙集1』古典文庫刊、1969年6月

