実は大バクチだった!大久保利通らが仕掛けた合法クーデター「廃藩置県」の意外な実態【前編】:2ページ目
2ページ目: 1 2
諸藩の意向を無視できず
明治政府は、諸藩の軍事力で徳川幕府を倒しました。
とはいえ、政府はもともと天皇親政を掲げていたものの、その実態は諸藩に依拠する政権でもありました。その直轄地は、全国3000万石のうち、旧幕府領に置いた府県の800万石に限られていたのです。
政府の基本方針を表明した明治元年(慶応4年)の五箇条の誓文には、〈広く会議を興し万機公論に決すべし〉とあります。
ここで想定されていたのは藩の意思であり、これを具体化するものとして各藩代表でつくる公議所、次いで集議院が設けられていました。
独自の軍事力を持たない明治政府は、その意向を無視できなかったのです。
このため、藩主の領地と領民を天皇に返上する明治2年の版籍奉還や、各藩に海軍費を負担させる翌年の藩制制定は不徹底なものに終わりました。
政府としては、非常にもどかしい思いだったでしょう。こうした状況を打破するために廃藩置県が行われた経緯を、【後編】でさらに見ていきましょう。
【後編】の記事↓
実は大バクチだった!大久保利通らが仕掛けた合法クーデター「廃藩置県」の意外な実態【後編】
薩長連携から大混乱へ【前編】では、明治政府が版籍奉還・藩制制定などの行政改革を行うも不徹底に終わり、中央集権国家を目指すにあたりもどかしい状況に追い込まれていたことを説明しました。[ins…
参考資料:中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社(2024/10/7)
画像:photoAC,Wikipedia
ページ: 1 2

