神奈川県に護国神社を!創建前に横浜大空襲で焼失…幻の「神奈川県護国神社」とは?:3ページ目
護国神社の跡地は公園に
戦災で焼失してしまった護国神社は神奈川県以外にもあるのですが、そちらの護国神社は既に護国神社として認められていた(英霊が祀られていた)ため、戦災神社として再建費用が全額補助されたのです。
一方で神奈川県護国神社については、まだ正式に英霊が祀られていなかったため、戦災神社として認められませんでした。
十分な補償が得られなかったことで、神奈川県は護国神社の創建(工事再開)を断念。昭和22年(1947年)6月に神奈川県護国神社の創建予定地を横浜市へ払い下げます。
払い下げられた予定地は昭和24年(1949年)に三ツ沢公園となり、昭和27年(1952年)6月には戦没者慰霊塔の建設を決定。同年10月に着工し、昭和28年(1953年)3月に横浜市戦没者慰霊塔が竣工しました。
同じ昭和28年(1953年)11月には上大岡(港南区)で戦没者慰霊堂が竣工し、こちらでは戦没者と戦災死者58,000余名が名簿に納められています。
横浜市戦没者慰霊塔ともども、これらの施設は行政が運営しており、政教分離の原則からあくまで無宗教です。そのため、ここには誰も祀られてはいません。
かくして神奈川県は護国神社が存在しないまま、数十年の歳月が流れたのでした。
