和式便所は、どこへ行ってしまうのでしょう
和式便所は、どこへ行ってしまうのでしょう。和式便所。そう、あの、足腰を鍛えるのに向いている、あの便所です。様々なジャンルで「和」の復権が叫ばれる昨今ですが、和式便所が人気再来という話は特に聞きません。というより、どんどん私たちの生活の中から姿を消しつつあります。
「和式の方が清潔だ」という声が、「和」のシェアをかろうじて維持させてはいます。しかし、不慣れな人が増えたせいか「誤爆」事故が多いのも、事実。駅のトイレなどで、凄惨な「事故現場」を目にすることは、珍しいことではありません。「和式」は、物そのものだけでなく、私たちの魂からも姿を消しつつあるのです。
別に「和式に戻すべきだ」などと主張したくて、こんなことを言ってるのではありません。あれは、誰にとっても、つらい。「和」の復権は、あくまで今のライフスタイルに合わせた形で行うべきであり、転倒や誤爆の恐怖に震えてまで「和」にこだわるのは、ちょっと不自然でしょう。
しかし、自然か不自然かという話なら、「和」の姿勢が自然の中で事に及ぶ際のそれに近いことは、否めません。近いというか、まるっきり同じです。和式便所に「カルチャーショック」とかいう外人でさえ、野外でする時は「和」の姿勢をとるといいます。彼らは、腰をかがめることに抵抗があるのでしょうか。それとも、野●●と同じ姿勢をとることに抵抗があるのでしょうか。
人間、特に日本人は、研ぎ澄まされた精神の面でも、極めて形而下的な側面でも、自然を密接に感じながら生きてきました。何といってもしゃがんでますから、物理的な距離からしてもう、近い。水や土から直接的に生活の糧をもらい、感謝の気持ちをこめて間近から養分をお返しし、最後には己自身が自然へ還っていく。そんな生命のサイクルの中で生きてきたのです、土から至近距離で。
「土を離れては生きられないのよ」と叫んだのは天空の城の某王女ですが、和式便所はそんな戒めを現代の日本にかろうじて残してたものかも知れません。それを、今、私たちは失いつつあります。困るかといえば全然困りませんし、ノスタルジーも全く感じませんが、でも、気になるのです。和式便所は、どこへ行ってしまうのでしょう。