【史実】北川豊章とは何者?誰袖花魁の未来、将軍家の緊急事態…大河『べらぼう』放送内容の解説と考察:2ページ目
緊急事態!御三家&御三卿に男児なし?
時は安永9年(1780年)、徳川家基(奥智哉)亡きのち将軍家の後継者たりうる男児がいない事態に陥ってしまいました。
徳川家治の男児はこの時点で全員亡くなっており、御三家(水戸・尾張・紀州)と御三卿(田安家・清水家・一橋家)には将軍位を継承できる男児がいなくなってしまったというのです。
この時点における各家の状況を確認してみましょう。
<御三家>
【水戸徳川家】
藩主:徳川治保(はるもり)⇒男児は嫡男のほかもう一人
【尾張徳川家】
藩主:徳川宗睦(むねちか)⇒男児は夭折し、養子をとっている
【紀州徳川家】
藩主:徳川治貞(はるさだ)⇒男児は養子一人のみ
<御三卿>
【田安家】
当主:なし(後に復活)
【清水家】
当主:清水重好(落合モトキ)⇒子供なし
【一橋家】
当主:一橋治済(生田斗真)⇒嫡男:豊千代(後の第11代将軍・徳川家斉)
⇒ほか二男:力之助(のち一橋治国、5歳)、慶之丞(のち一橋斉匡、2歳)
※後にも誕生
……こうして見ると、一橋家だけが男児に恵まれている印象です。あえて「西ノ丸には興味がない」態度を示すことで、徳川家基の暗殺事件における疑いの目をそらしたのでしょう。
もちろんそれで将軍位を逃しては元も子もありませんが、この状況であればその心配もなさそうです。
かくして豊千代が将軍世子に指名され、第11代将軍・徳川家斉(いえなり)となるのでした。
