【大河べらぼう】登場の可能性は?山東京伝の実弟である江戸時代の戯作者・山東京山がたどった生涯:2ページ目
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地味でも地道に、生涯160もの作品を手がける
やがて文化13年(1816年)に兄の山東京伝が亡くなると、その遺児たちを引き取って後見人となり、兄の遺業を発展させて財を築きました。
石州流の茶匠を務めるなど活躍しますが、兄の友人である曲亭馬琴(きょくてい ばきん)との関係がこじれたと言います。
天保9年(1838年)になると剃髪したものの、最晩年まで精力的な文芸活動を行いました。
生涯で160もの作品を手がけた山東京山。その作風は家庭や世間を題材として、シンプルな教訓を描くものが多く残っています。
また娘が武家に奉公していたことから、女性の道徳が強調されました。
そして安政5年(1858年)9月24日、当時江戸でパンデミックを惹き起こしていたコレラに感染、生命を落としてしまいます。享年90歳。
山東京山の作品たち
- 『復讐妹背山物語』文化4年(1807年)
- 『昔模様娘評判記(むかしもよう むすめひょうばんき)』天保6年(1835年)
- 『大晦日曙草子(おおみそか あけぼのぞうし)』天保10年(1839年)
- 『朧月猫草帋(おぼろづき ねこのそうし)』天保13年(1842年)~嘉永2年(1849年)
- 『教草女房形気(おしえぐさ にょうぼうかたぎ)』弘化3年(1846年)
- 『歴世女装考(れきせいじょそうこう)』弘化4年(1847年) など
終わりに
今回は山東京伝の弟・山東京山について、その生涯をたどってきました。
果たしてNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」に登場するかと言われれば……その可能性は限りなく低そうです。
兄に比べて今一つ目立ちませんが、実直な性格と地道な努力によって一定の成功を収めた人物と言えるでしょう。
もし大河ドラマに登場するなら、誰がキャスティングされるか、考えてみるのも楽しいですね。
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