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実は『百人一首』の編者は藤原定家ではない!?では本当の編者の正体は?最新学説と教科書の動向を紹介

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歌僧・頓阿の存在

たびたび挙げられてきたのは、定家の息子・為家によるものだという説です。

その根拠の一つは、冷泉家時雨亭文庫(京都)所蔵の『百人秀歌』の写本です。その跋文(あとがき)には、『百人一首』は為家が改訂したと明記されているのです。

それだけだと、もう答えが書いてあるように思われるかも知れませんが、しかし為家が亡父の撰集に大幅な改編を加えた例が他に見られないことなどから、この真偽について疑問視する見方もあります。

そんな中、研究者によって唱えられている新しい説が、為家直系の和歌の家・二条家に師事した頓阿(とんあ/とんな)の存在です。

頓阿は後鳥羽院の歌論を強く意識しながら、家の伝統を守り抜こうとした地下(じげ)の歌僧で、自著で〈嵯峨の山庄の障子に上古以来哥仙百人のにせ絵を書きて、各一首の哥を書きそへられたる〉百人一首の存在に言及しているのです。

後鳥羽院は死後、文学者として復権しており、いつまでも『百人秀歌』の中で定家との関係が断絶したままではいけないと頓阿は考えたのかも知れません。

彼に偽書を作る意識はなく、『百人一首』の形で、定家の真の姿を世に出したいと思ったのではないか――。最近はこんな推測もなされています。

参考資料:
中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社(2024/10/7)
画像:photoAC,Wikipedia

 

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