手洗いをしっかりしよう!Japaaan

幻と消えた平清盛の夢…わずか半年で消滅した「福原京」への遷都の経緯とその失敗の理由【後編】

幻と消えた平清盛の夢…わずか半年で消滅した「福原京」への遷都の経緯とその失敗の理由【後編】:2ページ目

福原京の消滅

福原京への天皇の滞在はわずか半年に過ぎませんでした。また統治機関も未整備のままだったので、果たしてこの「京」は正式な都だったと言えるのか、それとも離宮にすぎなかったのか、研究者の間では議論が分かれています。

とはいえ、長く宮中の内侍所を離れることがなかった神鏡を含む三種の神器が福原に移されたことは大きな出来事で、こうした点からも福原京への遷都について清盛の本気ぶりが窺い知れます。

平安京への還都後は、平氏の軍勢が一時的に盛り返しました。

しかその翌年、清盛が病死。寿永2年(1183年)には源氏の軍勢が京都に迫り、平氏は都落ちします。西国に逃げる途中、清盛の子・宗盛らは福原の内裏を焼き払いました

こうして、福原京は名実ともに「消滅」したのです。

3ページ目 遺構から分かること

 

RELATED 関連する記事