弥生人は文字を読み書きできたのか?衝撃の「硯(すずり)」出土がもたらす考古学の新たな可能性:2ページ目
伊都国は倭人伝の国で唯一「世々(代々)王あり」と特記されています。三雲・井原遺跡とその周辺では「雲南小路」「平原」など多数の中国鏡を副葬する王墓が確認されており、魏にかけての歴代王朝から厚遇されていたことがうかがえます。
また、倭人伝は伊都国を「往来する郡使(帯方郡の使者)が常に駐在する所」と記します。「一大率」という官も置かれ、「魏や帯方郡、韓国に向かう使者、また帯方郡からの使者港に迎えて、贈答する文書や品物に誤りがないかチェックした」とも伝えています。
前述の硯が見つかった地点(番上地区)では、国内でほかに例のない密度で楽浪系土器が集中していました。
楽浪や帯方で作られた灰色の土器が、他の遺跡では単体または散発的に出土する中、狭い範囲で壺や鉢、盆など数十点が出土したのです。
このことから、この地には楽浪の人々が長期にわたり居住していた可能性があるのです。伊都国に楽浪の外交官が駐在して、倭の外交の実務を担ったのではないかとみる専門家もいます。
