
大河「べらぼう」蔦屋重三郎の夢を支えた『男気』〜浄瑠璃の馬面太夫と富豪の鳥山検校〜【前編】:3ページ目
遊女たちによる男装
俄は「往来で『突然(にわかに)素人が芸を披露する』という意味からついた名称という説もあります。蔦重の頃の吉原では、遊女たちが「手古舞(てこまい)」と呼ばれる男装をしたり芝居の中で男性役を演じたりする出し物が人気がありました。
男装の遊女というと、第2回「吉原細見『嗚呼(ああ)御江戸』」で、瀬川が男装して平賀源内の想い人である「瀬川菊之丞」を「今宵のわっちは瀬川でありんす」と言い演じ、舞った場面を思い出す人は多いでしょう。
普段は艶やかな着物姿の遊女が、袴や羽織の男装姿で舞ったり芝居をしたりする演目は、大人気だったそうです。
音楽や踊り
幇間などプロの音楽家ではない遊郭内の人々が伴奏を担当し、長唄や浄瑠璃といった伝統音楽で祭りを盛り上げました。手作り感のある雰囲気が特徴で、上手過ぎない演奏や歌、舞いに親しみを感じる観客は多かったようです。
そんな俄祭りに、浄瑠璃の人気太夫・富本豊志太夫/午之助(寛一郎)を招こうと、早速芝居小屋に出向く蔦重。
初めて浄瑠璃の舞台を観て「あれは世の宝にございますよ」と言うほど、その世界観に深い感動を覚えたのです。
蔦重が浄瑠璃を出会うことにより、さまざまな立場の男たちの「男気」が発揮され、瀬川との再会も導くことになります。
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大河「べらぼう」蔦屋重三郎の夢を支えた『男気』〜浄瑠璃の馬面太夫と富豪の鳥山検校〜【後編】
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