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大河「べらぼう」蔦屋重三郎の夢を支えた『男気』〜浄瑠璃の馬面太夫と富豪の鳥山検校〜【前編】

大河「べらぼう」蔦屋重三郎の夢を支えた『男気』〜浄瑠璃の馬面太夫と富豪の鳥山検校〜【前編】:2ページ目

遊郭の息抜きとアピールの意味もあった「俄祭り」

「俄(にわか)」という言葉自体は、現代でも普通に使用されています。スポーツの大きな試合が盛り上がると、「にわかファンだけれどうれしい」とか「にわかファンのくせに」など、今でもよく使う言葉です。

それまで何でもなかったのに突然ファンを公言するようになった人などを揶揄してそう呼びますが、本来「俄」には「一時的であるさま、かりそめであるさま」という意味もあるそう。吉原の「俄祭り」にもそんな意味があります。

吉原俄祭りの起源は、はっきりとした記録は少ないようです。一般的には、吉原が移転し新吉原になったとの、享保年間(1716~1736年)に始まったとされ、主に毎年8月中旬から9月中旬にかけて開催されました。

吉原遊郭内の街頭や屋台の上で行われ、遊郭全体が祭りの雰囲気に包まれ、訪れる江戸人々や観光客で賑わったようです。

「俄祭り」を行う理由は、遊女たちが一時的に息抜きをして遊郭全体の結束を高め、一般見客に吉原の芸事などを見せてアピールする意味もあったよう。

祭りで行われる催し物には以下のようなものがありました。

即興芝居(俄芝居)

「俄」という言葉自体が「即興」を意味します。俄芝居とは、幇間(ほうかん/太夫の付き人や芸人)や遊女たちが、簡単な台本や打ち合わせだけで演じる軽快な芝居のこと。ユーモアや風刺を込めた寸劇が多く、観客を楽しませました。

3ページ目 遊女たちによる男装、音楽や踊りなど

 

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