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箸墓古墳は”卑弥呼の墓”で決まりか?日本最大・最古クラスの古墳の秘密に最新学説が迫る【前編】

箸墓古墳は”卑弥呼の墓”で決まりか?日本最大・最古クラスの古墳の秘密に最新学説が迫る【前編】:2ページ目

卑弥呼に関する記録

卑弥呼が実在した女王であるということは誰もが認めていますが、卑弥呼の人となりや功績などを記す日本の文献が存在していないのは皆さんも知っていますね。

かろうして『日本書紀』の神功皇后の条には「魏志倭人伝」(「魏志」東夷伝倭人条)を引用して倭王が朝貢したことを伝えていますが、『日本書紀』は神功皇后を卑弥呼に見立てているため、卑弥呼の名は記していません。

卑弥呼や邪馬台国のことを伝えているのは「魏志倭人伝」だけであり、それによると、紀元247年に卑弥呼が亡くなり、大きな墓を築いたといいます。

しかし卑弥呼は弥生時代の人物であり、古墳時代はその後です。箸墓古墳が造営されたのが古墳時代だとすると、卑弥呼が活躍した時代と整合性が取れません。

箸墓古墳は卑弥呼の墓ではない、という説を採る研究者は、この時代の不一致を根拠とするわけです。

では、この問題点はどのように考えられるのでしょうか。それについては【後編】で説明します。

【後編】の記事はこちら↓

箸墓古墳は”卑弥呼の墓”で決まりか?日本最大・最古クラスの古墳の秘密に最新学説が迫る【後編】

年代の不一致【前編】では箸墓古墳と卑弥呼の関係について説明しました。【後編】では、卑弥呼が活躍した時代と箸墓古墳が造営された時代の年代のズレについての考察などを見ていきましょう。【前編】の…

参考資料:日本歴史楽会『あなたの歴史知識はもう古い! 変わる日本史』宝島社 (2014/8/20)
画像:Wikipedia

 

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