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伊達政宗はなんと江戸幕府転覆を目論んでいた!?「慶長遣欧使節」に秘められた野心とは【後編】

伊達政宗はなんと江戸幕府転覆を目論んでいた!?「慶長遣欧使節」に秘められた野心とは【後編】:2ページ目

ソテロの証言

その点、常長に同行し案内役兼通訳、交渉役として精力的に動き回ったフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロは、政宗の野望を記した文書をいくつも残しました。

その1つである、スペインの宰相レルマ公に送った書簡(1618年2月4日付け)には「(政宗は)皇帝(将軍=家康)から迫害されようとしている30万人の信徒を家来にして、その助けによって自分が皇帝となって、長い間帝位につくことを望んでいる」という内容のことが書かれています。

さらにソテロは、常長がスペイン国王に謁見した際にその口上を通訳しましたが、その中で「主君である奥州の王(政宗)がわが身、領土を陛下(スペイン国王)に献じ、陛下の役に立つようなことがあれば喜んで尽くしたいと望んだ」とも述べています。

ローマ・クイリナーレ宮殿の王の間フレスコ画。前列左が支倉常長、前列右がソテロ(Wikipediaより)

この話が真実だとすると、政宗はスペイン国王に領土を差し出し、その配下に入りたがったことになります。

しかし常長(政宗)がそこまで考えていたとは思えず、これはソテロが勝手に通訳した可能性が高いという指摘もあります。

ソテロは、1612(慶長17)年からの禁教令によって幕府のキリスト教に対する弾圧が厳しくなる中、政宗という保護者によって布教を許されていました。

そこで、ソテロには奥州を足がかりにして、自分がフランシスコ会の日本の司教になろうという野望があったとされているのです。

従って、ソテロの書簡や発言に示された政宗の野望は、国王や法王の歓心を得るためのものであり信憑性が低いという反論もあります。

3ページ目 政宗の真意とその後

 

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