実はかなりの強引手段だった!江戸時代の盗賊はめちゃくちゃ重い「千両箱」どのように盗んだのか?:2ページ目
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真相はというと……
盗賊は集団で押し込み、家人らを殺傷したり、縛りつけてから、荷車などに千両箱を積み込み、悠々と地面を伝って逃走したのです。
こうした盗賊たちにとって、武家、特に中規模以下の武家屋敷は格好の狙い目でした。
つまり、家臣を多く雇うほどの経済力がないので盗賊団は反撃されるリスクが少ないです。一方で武家は体面を気にするため、表沙汰にしないことが多いというメリットがありました。
しかも、江戸時代というのは現代の警察のような統一された司法組織がない社会だったのも致命的でした。
特に武家屋敷の場合は、幕臣である旗本や御家人と、地方の藩だとその司法管轄が全く異なることから取り締まりもややこしくなったのです。
そのため隠蔽されたりすることも多く、こうしたところに盗賊団が暗躍する土台のようなものがあったのでしょう。
参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む 雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia
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