ライト兄弟より先に飛行機の原理を発見し、日本の航空技術を切り拓いた二宮忠八の功績【後編】:2ページ目
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1935年にはようやく、 日本航空協会が彼の功績を正式に認め表彰しました。翌年には 英国王立航空協会が彼を「ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物」として紹介しています。
1936年、忠八は、ライト兄弟に先んじて飛行機を考案しながらも実用化できなかったことに対する無念を抱えたまま生涯を終えました。
新しい技術や発明は、最初は理解されないことが多いものです。しかし、それが 後に世界を変える可能性を秘めていることも忘れてはなりません。二宮忠八のこのエピソードは、 革新的なアイデアを持つ人々を支援することの大切さを教えてくれます。
もし、当時の日本が彼を認めて支援していたら、世界初の飛行機は日本で誕生していたかもしれません。
飛行機の発明以来、航空事故が相次ぐ現状に心を痛めた忠八は、事故犠牲者の慰霊こそが飛行機開発に携わった者としての責務だと考えました。彼は多くの犠牲者を弔うため、1915年に京都府八幡市に飛行神社を設立。私財を投じて社殿を建て、自ら神主となり、航空安全と犠牲者の慰霊に尽力しました。
参考文献
- 生駒忠一郎『二宮忠八・伝 世界の飛行機発明の先駆者』(2002 KTC中央出版)
- 上山明博「飛行機の父、二宮忠八」『<朝日選書> ニッポン天才伝─知られざる発明・発見の父たち』(2007 朝日新聞社)
- 木立順一『日本偉人伝 利他の心の文化が生んだ世界に誇る人物』(2014 メディアポート)
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