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日清・日露戦争、日本が強国の清(中国)、ロシア相手に勝てた理由とは? 〜 軍事改革と近代化の秘密

日清・日露戦争、日本が強国の清(中国)、ロシア相手に勝てた理由とは? 〜 軍事改革と近代化の秘密

明治時代、日本は1894年の日清戦争と1904年の日露戦争という2つの大きな戦争で勝利を収めました。

でも、ここで不思議に思いませんか?

明治維新からまだ数十年しか経っていない日本が、当時世界的な強国だった清(中国)やロシアを相手に勝利したのです。

どうしてそんなことが可能だったのでしょうか?

今回は、近代化を迎えたばかりの日本が、2つの強国に勝てたその理由を一緒に探っていきましょう。

近代化こそ勝利のカギ

政府の関係者らは当時、「このままでは、西洋の国々の植民地にされてしまう!」という危機感を強く持っていました。1853年、ペリー提督が黒船で日本にやってきたことで、日本は「世界の現実」を突きつけられたのです。

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そこで政府は急速な近代化を進めることを決意しました。その合言葉が「富国強兵(ふこくきょうへい)」。つまり、「国を豊かにし、軍隊を強くするぞ!」ってことですね。

この富国強兵を実現するため、日本は西洋式の軍事制度をまるごと取り入れることにしました。特に参考にしたのはフランスドイツ(プロイセン)です。そして、これまでの「武士の戦い方」から完全に脱却します。

1873年には徴兵制を導入し、武士だけではなく、全国民が軍隊を支える仕組みに変えました。これが当時としてはかなり革新的だったんです。

また、戦い方もガラッと変わります。それまでの戦いの主力は刀や槍でしたが、これからは銃や大砲が主役になります。軍隊の訓練もドイツ式の厳しいものを採用し、日本軍は一気に近代化を果たしました。

2ページ目 日清戦争―清(中国)に勝った理由

 

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