もし明治時代に女子教育がなかったら、今の日本は…… 日本の女子教育の始まりと働く女性の登場:2ページ目
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明治時代の終わりごろになると、「女性ももっと自由に生きるべきではないか」と考える人々が出てきました。その代表的な人物が平塚らいてう(ひらつからいちょう)です。
彼女は1911年に「青鞜(せいとう)」という女性向けの雑誌を創刊し、「女性は家庭にとどまるべきではなく、もっと社会に出るべきだ」と訴えました。当時の日本では、女性が政治や社会問題について発言することはほとんどなかったため、彼女の活動は大きな注目を集めました。
また、女性の労働環境を改善するための法律も作られ始めました。1900年には「工場法」が制定され、女性労働者の労働時間が制限されるなど、少しずつ働く環境が改善されていきました。
では、明治時代の女性の社会進出はどこまで進んだのでしょうか? 実は、この時代の変化は「第一歩」にすぎませんでした。女性は教育を受ける機会を得て、工場で働くことも増えましたが、まだ政治に参加することはできませんでしたし、結婚後も仕事を続けるのは難しい状況でした。
しかし、明治時代に始まった女子教育や女性の労働は、のちの時代の女性の権利運動につながっていきました。そして戦後、1945年には女性にも選挙権が与えられ、日本社会における女性の立場は大きく変わっていきました。
このように、明治時代は女性の社会進出が始まった時代でした。もちろん、当時の女性たちはまだ多くの制約の中で生きていましたが、それでも少しずつ社会の中で自分たちの立場を築いていったのです。
もし明治時代に女子教育がなかったら、今の日本の女性の立場はどうなっていたでしょうか? 彼女たちの歩みを知ることで、私たちが当たり前だと思っている社会の在り方について、改めて考えるきっかけになるかもしれませんね。
参 考
- 総合女性史研究会編『時代を生きた女たち : 新・日本女性通史』(2010 朝日新聞出版)
- 総合女性史学会 [ほか] 編 『女性労働の日本史 : 古代から現代まで』(2019 勉誠出版)
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