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鉄砲が伝来した時、種子島の人はポルトガル人とどうやって会話したの?素朴な疑問の解答がこちら

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実は、この時ポルトガル人が乗っていた船には中国人も乗っていました。中国人と日本人なら、会話はできなくとも筆談ができます。

ポルトガル人との間で筆談が用いられたのは本当ですが、そこでの会話は「通訳」を介したものだったのです。

こうして鉄砲は「伝来」した

もともと、彼らが種子島に来たのは、シャムから中国に向かう途中で暴風雨に遭遇し、船が漂着したためでした。

漂着した砂浜の上で、種子島の人々は杖を使って砂に字などを書いて中国人乗組員と筆談を交わし、船に西洋から来たポルトガル人が乗っていることや、彼らが鉄砲を持っていることを知ったのです。

鉄砲の伝来について記した『鉄炮記』によれば、ポルトガル人は鉄砲を時の島主である種子島時堯の前で撃ってみせたといいます。

その威力に驚いた時堯は、2000金を投じて鉄砲二丁を譲り受けました。

戦国時代の日本に火縄銃が伝わった経緯とその後の「銃規制」の顛末

種子島で製造された「火縄銃」「鉄砲の伝来」というと、小学校時代の教科書を思い出します。そこにはイメージイラストが載っていて、ヨーロッパ人と日本人が砂浜の砂に文字や絵を描いて「筆談」をしている場面で…

そして時堯は自ら練習を重ね、ついには百発百中の腕前となると同時に、家臣に火薬や鉄砲の製造法について学ばせ、まもなく国産化することに成功しました。

参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む 雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia

 

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