さすがの徳川家康、貨幣制度まで統一!江戸時代はどのような貨幣が流通していたのか?:2ページ目
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現在とは全く異なる単位
現在の日本では、十進法の通貨単位である「円」が導入され、とても計算しやすくなっていますね。
一方、江戸時代の貨幣袋位は金貨・銀貨・銭貨で異なり、しかも十進法と四進法を組みせたものでした。
単位についても現在とは大きく異なり、金貨には大判金小判金があり、おもに「両」が単位として用いられています。
しかし、日常生活ではもっと細かい単位の貨幣が必要だったため、日用品の売買などには分朱文の単位が用いられました。
分と朱はおもに金貨(のちには銀貨も)・文銭貨の単位で、原則として一枚を一文と数えました。また銀貨については、「匁」という単位も用いられました。
貨幣の品質・流通を管理する組織の設置
徳川家康は、金銀の貨幣制度の統一に着手するとともに、全国の金銀鉱山を直轄化します。そして貨幣をつくる技術を管理し、金貨・銀貨の製造体制を整備しました。
江戸時代に金貨・銀貨・銭貨の三種類の貨幣が用いられてのは前述の通りですが、さらに家康は、それぞれの原材料の購入や鋳造、品質を管理する金座・銀座・銭座と呼ばれる組織をつくりました。
これらは現在の造幣局のようなものです。
金座は大判以外の金貨の鋳造や管理を行っていた役所で、1595(文禄4)年、康が天正大判金をつくった後藤徳乗の弟子・後藤庄三郎光次を京都から招き、小判を鋳造させたことから始まりました。
金座は江戸(東京都)京都・駿府(静岡県)・佐渡(新潟県)の四か所に設けられましたが、のちに江戸に統合されました。
金座があった辺りは、当時は本両替町という地名でしたが、現在は日本橋本石町になっています。金座の跡地には日本銀行が建てられています。
参考資料:執筆・監修 阿部泉『明日話したくなるお金の歴史』清水書院、2020年
画像:photoAC,Wikipedia
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