
家康の無謀な挑戦と信玄の巧妙な戦略!戦国ファンには有名で同時に謎も多い「三方ヶ原の戦い」とは?:3ページ目
いずれにせよ、家康は命からがら浜松城へ撤退し、その後も武田軍の追撃を逃れました。
三方ヶ原の敗北後、家康は一度は壊滅的な状況に追い込まれました。一方で、この敗北を糧にし、後の長篠の戦いで武田軍を破り、最終的には天下統一に向けた道を歩みます。
また、家康は三方ヶ原での自らの姿を戒めとして、生涯その肖像画を醜く描かせ、常にその敗北を忘れないようにしたとも言われています。
三方ヶ原の戦いは、家康にとって大きな人生の転機となりました。信玄の巧妙な戦略と家康の若さゆえの挑戦が激しい戦闘を生み出し、その結果として家康は一度は敗北しますが、この経験が後の天下人への布石となっていくのです。
まだ全て解明されているわけではないこの戦い。今後明らかになるかもしれない真相解明が、とても楽しみです。
参考資料
- 『徳川家康三方ヶ原戦役画像』(徳川美術館所蔵参考資料
- 小楠和正『検証・三方ヶ原合戦』(2000年 静岡新聞社)
- 小和田哲男『三方ヶ原の戦い』〈学研M文庫〉(2000年)
- 小和田哲男『戦国の群像』(2009年 学習研究社)
- 丸島和洋『郡内小山田氏 武田二十四将の系譜』〈中世武士選書19〉(2013年 戎光祥出版)
- 平山優『新説 家康と三方原合戦-生涯唯一の大敗を読み解く-』〈NHK出版新書688〉(2020年 NHK出版)
- 平山優『徳川家康と武田信玄』〈角川選書664〉(2022年 KADOKAWA)