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なぜそんなことを!?女帝・称徳天皇が側近に下した刑罰はなんと”汚い名前への強制改名”だった

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清麻呂は出発前、道鏡から

「『吉報』をもたらせば、官位を上げてやる」

と持ちかけられましたが、宇佐の大神からのお告げは

「天皇の後継者には必ず皇族の者を立てろ。無道の人(道鏡)は早く追放せよ」

というもの。

月岡芳年 画『皇国二十四功』より

都へ戻った清麻呂は、このご神託をそのまま天皇に報告したことで、天皇と道鏡の怒りを買うこととなったのでした。

清麻呂は名前を「別部穢麻呂」に改名させられた上、職を解任・流刑。さらに姉の法均尼こと和気広虫も「別部狭虫(わけべのさむし)」に改名させられ流刑となってしまいました。

なぜ称徳天皇はこんな刑罰を与えたの!?

称徳天皇が清麻呂姉弟に下した「強制改名の刑」は、単なる嫌がらせではなく、天皇のある「こだわり」によるものでした。

称徳天皇は清麻呂以外にも、自分に反抗したものを卑しい名前に改めさせたことがありました。名前や言葉には「霊」が宿っているため、大切にしなければならないという「言霊信仰」的な考え方があったからでした。

称徳天皇によって「強制改名」の刑を受けた人物には、他にも橘奈良麻呂の乱で廃太子とされた道祖王(ふなどおう・麻度比(まどひ)に改名)や、称徳天皇を呪詛した疑いをかけられた不破内親王(ふわないしんのう・厨真人厨女(くりやのまひとくりやめ/台所の下女という意味)に改名)などがいます。

これから毎日卑しい名前で呼ばれることになるなんて、生きていく上でもっとも精神的にきつい刑罰ではないでしょうか。

 

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