手洗いをしっかりしよう!Japaaan

四国・中国地方に伝わる集団亡霊「七人ミサキ」起源となっていたのは戦国武将・吉良親実だった!

四国・中国地方に伝わる集団亡霊「七人ミサキ」起源となっていたのは戦国武将・吉良親実だった!:2ページ目

親実の祟りと七人ミサキの誕生

元親は親実だけでは飽き足らず、永吉飛騨守や小島甚四郎といった7人の親実家臣たちも殺害。これ以降、親実の墓から火が出たり、親実の屋敷跡から首の無い武士が現れたりと様々な怪異が絶えず起こります。

そこから、親実と家臣たちの怨霊が七人ミサキとなって怪異を引き起こしていると恐れられました。

元親は怨霊たちを鎮めるため、家臣たちの意見から親実の墓がある木塚山の付近に親実を祀る木塚明神を建立しました。

現代では吉良神社と名を変えて現存しています。

親実の他にあった別の七人ミサキ

実は、親実の他に元親の従兄弟だった比江山親興(ひえやま-ちかおき)も七人ミサキとなっていました。

親興も後継者問題で元親の怒りを買い、天正16年(1588)に切腹を命じられました。この時、親興の妻子たち6人も殺害されたことで、比江山七人ミサキとなったと言われています。

参考:朝里樹『歴史人物怪異談事典』‎2019年、幻冬舎

 

RELATED 関連する記事