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戦国時代、借金のカタに国土を譲渡!?日本の国土が外国領土になったのは昭和だけではなかった

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借金のカタに長崎を譲渡

当時の長崎は、大村純忠の娘を妻とする長崎甚左衛門純景の支配下にあり、半農半漁の集落が点在する寒村でした。

そこで、キリシタン大名だった大村純忠がポルトガル商人と協力しながら、新たな町割を実施して短期間のうちに港として形を整えたのです。

しかもその最中の1580年(天正8)、純忠は長崎の地をイエズス会に譲り渡してしまいました。長崎を担保に、ヤソ会から借金していた軍資金が返せなくなったからです。

また純忠には、ヤソ会に恩を売ることで南蛮貿易を独占し、富国強兵をはかろうという思惑もあったようです。

そのため、長崎は1587年(天正15)に秀吉がキリシタン禁止令を出すまでヤソ会領となり、治外法権的な外国領のような存在だったのです。

日本準管区長ガスパル・コエリョは、秀吉の追放令に対して、スペイン領マニラに援軍を求めて対抗しようとまでしています。

こうした動きが、秀吉や徳川家康のイエズス会に対する警戒心を高め、のちの禁教令へと繋がったと言えるでしょう。

参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社

画像:photoAC,Wikipedia

 

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