蜘蛛と髑髏の着物に身を包み…明治時代に実在した異様すぎる遊女“幻太夫”の生涯【後編】
前回のあらすじ
両親を亡くし横浜で遊女をしていた石川田鶴。折角身請けされた家を出て品川、根津の遊郭を渡り歩きます。幻太夫はその異様な様相から室町時代の伝説の遊女“地獄太夫”の再来と評判になりますが…
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地獄太夫の再来!?明治時代に実在した遊女“幻太夫”の凄まじい成り上がり精神【前編】
月岡芳年と小林清親
その頃、幻太夫の噂を聞きつけて有名な浮世絵師となっていた月岡芳年が松葉楼を訪れます。月岡芳年と幻太夫は昵懇の間柄となってしまいます。
上掲の浮世絵では雪景色を背景に三人の遊女が描かれています。中央に描かれているのが幻太夫です。
幻太夫の打掛には蜘蛛の巣にからめとられた桜花と蜘蛛の姿が。そして髑髏の柄が描かれています。筆者は蜘蛛が大嫌いなので、蜘蛛の姿が描かれた着物を着るなんてゾッとします。現代のドクロ柄はファッションとして受け入れられていますが、この時代に女性が髑髏柄の着物を着るのはかなり異様なことだったのではないでしょうか。
しかし幻太夫が手にしているのは“雪うさぎ”。目に南天の実を入れるので、難が転じる縁起物とも言われます。月岡芳年の優しい気持ちの現れでしょうか。
ただそのような蜜月もやがては終わりを迎えます。月岡芳年と幻太夫の間に何らかのトラブルがあり、月岡芳年は突然松葉楼へは通わなくなります。
また『東京名所図』シリーズにより人気浮世絵師となった“小林清親”も幻太夫のもとを訪れています。
小林清親の錦絵が良く売れたお礼として、版元の大黒屋・松平平吉に祝の席を設けてもらいました。両国の料亭で御馳走になった後、根津の遊郭に繰り出すことになるのです。
以下に小林清親の談を引用します。
「或る部屋へ連れ込まれ、成る程驚いた、それがまぼろしの部屋でありました。・・・・・部屋には仏壇あり、仏像あり、襖の張付けは例の蓮の花で其身は
切下げ髪に輪袈裟というふ巫山戯(ふざけ)た行粧で勤めをして居たのです。此部屋で再び大いに飲み上げたが、大平が頻りに画家扱ひにするので、ついに裲襠を
描いてやる約束が成り立ち、後日白無垢へ墨絵で描いたのは羅漢の像で世間で骸骨を描いた様にいふのは誤伝であります」 (『浮世絵師』第16号)。
小林清親は幻太夫の肖像も描いたという話も残っています。
また幻太夫は、松葉楼を訪れたある財閥の大物を、これは上客だと目をつけ自分の客にしようとあれこれ画策したという噂もあります。
挙句の果てにはなんと小指を切って送りつけたというのです。遊女が自分の小指を切って相手に送るというのは“あなただけは私が本当に愛している人です”ということを伝える方法だったのです。
それでもその小指は受け取ってもらえなかったとか。しかし果たしてその小指も本物だったのかは分かりません。