蜘蛛と髑髏の着物に身を包み…明治時代に実在した異様すぎる遊女“幻太夫”の生涯【後編】:2ページ目
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その後の幻太夫
幻太夫のいる松葉楼がある根津界隈は、多くの遊郭が立ち並び大変活気づいていたのですが、隣の本郷に東京帝国大学校舎が新築される計画が立てられたため、風紀上好ましくないとの理由で、根津遊廓は洲崎(江東区)に移転することになりました。
そのどさくさに紛れて幻太夫は借金を踏み倒し松葉楼から姿を消します。
中国へ行ったなどという話もありますが、確実なことは不明です。
松葉楼のその後
洲崎移転後、松葉楼楼主がことごとく事業を失敗し、松葉楼は廃業となりました。
明治二十三年頃、借家住まいとなった楼主のもとへ幻太夫が現れ「これは昔の借金なのでお返しします」と多額のお金を置いて行ったという話が伝わっています。
まとめ
幻太夫は地獄太夫の再来と噂されましたが、地獄太夫は“自分が遊女にまで身を落としたのは前世の自分の行いのせい”と考えて地獄の衣装に身を包み、仏道の悟りを得ようとしました。
しかし幻太夫が阿弥陀仏像や野ざらし髑髏、卒塔婆といった衣装に身を包んだのはあくまでも、自分が遊女の世界で成り上がるためであり、お金を得るための手段です。それは自立するための手段だったのかもしれません。
もし落ちぶれた松葉楼楼主の元に幻太夫がお金を返しに行ったことが事実だったとしたら、彼女は単なる破天荒な成り上がりではなく、恩義を忘れない女性であったと言えるでしょう。
(完)
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